Chapter.2-4

室内に入ると、会議室にはすでに出席予定の半数以上の魔術騎士団の面々が顔を揃えていた。
先程厩で言葉を交わしたラス・シオンもオスカーらと前後して室内へ入り、他部隊の隊長らと談笑している。
広い会議室の中央に設えられた長い長方形の会議テーブルは、それ専用に切り出され磨かれた樫の組木でできており、会議参加者の人数に合わせて長さを自在に組替え出来るようになっている。
会議の内容を問わず、議論がなるべく温和な雰囲気の中で進められるようにという配慮なのか、室内は玄関ホール同様白色を基調とした調度で整えられ、淡い色合いの花が所々に配されて、柔らかで明るい空間が作り出されていた。

「まったく、魔術師どのの卓越した美的感覚には恐れ入るな」

口元をゆがめてオスカーが言う。
ミスチフは唇の端を少し持ち上げて笑って見せた。

「確かに。残念ながら、我々にとっては至極居心地の悪い感覚ですがね」

二人の姿を見とめると、帝国本部の魔術騎士団すべてを統率している団長、アルド・リュー・シオンが微かにに頷き、目で会議テーブルの最も末席を指し示した。
そこが彼らの席だと無言で促したのだ。
オスカーは黙って頭を下げた。
ミスチフは僅かに眉をぴくりと動かしたが、何も言わずオスカーと共に示された末席へ足を向けた。
強大な兵力を誇る帝国の軍隊の中でも、魔術騎士団は精鋭として高位の階級に列せられている。
彼らが時に垣間見せる傲慢さと特権意識、そして正規軍と違いどうしても信頼性に欠けると思われている傭兵を軽視する傾向については、すでに慣れてはいるものの、オスカーに比べてまだやや若いミスチフにとって、それは内心決しておもしろい事ではなかった。

「気にするな」

オスカーは独り言のようにそう言い、ミスチフの背中をトントンと指で小突いた。
席につくと、オスカーはのんびり体中のあちこちをのばしたり緩めたりしながら、集まっている精鋭たちの様子を観察しはじめた。
彼らに対して友好的な感情を持つ者、逆に悪感情を持つ者、特に何も考えていない中立の立場にいる者、それぞれをじっくりと観察しながら見極める。
今回の会議で、あくまで状況報告の役割を与えられているにすぎないオスカーの発言が特に何かの重要性を持つことはないのだが、自分達に対して誰がどのような感情を抱いているのかを常に頭に入れておく事は、軍の中で効率よく上手に立ち回るのに非常に役にたつ。
傭兵にとっては、些細に思われるかもしれない何事もが重要な情報となり得るのだ。

会議テーブルの上座には、十三の座席が用意されていた。
会議の責任者である騎士団本部団長、アルド・リュー・シオンが十三の座席の真中に座を占め、団長の右側に副団長、帝国の軍事に関わるすべての政を担う軍務大臣の代理人として、秘書官二人分の席が準備され、残る九席には帝国専属魔術師が座する。
あとは魔術騎士団全十九部隊の各隊長、副隊長、また比較的規模が大きく班分けをしている隊には各班長にも召集がかけられており、席数だけをざっと目算するとオスカーとミスチフを含めて総勢五十八もの席が用意されていた。

「こりゃあ、宴席の方はけっこうな人数になりそうだな。アナ殿を探し出すのに苦労しそうだ。カイヤがうまくやってくれればいいが・・・」

「副隊長、班長階級にまでお呼びがかかっているとは思いませんでしたね。今回の議題はまだそこまで重要視されていないと思ってましたが」

「誰かが何か掴んだのかもしれないな。主だった幹部は揃うだろうと思っていたが、全部隊とは思っていなかったぜ」

二人が声を顰めてささやき合ううちにも、会議出席者は次々と室内へ入ってきた。
そこかしこで挨拶を交わし、談笑に興じる騎士隊長達の声が細波のように広がる。
やがて、ぽつりぽつりと自らの席へ腰を落ち着ける者が増えていき、空席がほぼ埋まりかけた頃、上座に座る秘書官と共に九人の帝国専属魔術師たちが現れた。
全員が、皇帝に忠誠を尽くすことを約した証である、帝国の紋章が銀糸で縫い取られた濃紺の長ガウンをはおり、手には様々な石やモチーフを象った魔術師のリングをはめている。
最長老は皇帝に仕えて六十年以上になる老人で、すでに百歳を数えるにもかかわらず、見た目には体力・知力共に少しも衰えているようには見えない。
魔術師にとってロムネル帝国の皇帝付専属魔術師に選ばれるということは、考え得る限り最高の出世の道であり、多くの心に野心を秘めた者が目指す地位でもある。
その場に勢ぞろいした九人の魔術師たちが、今身に付けている裾の長いガウンを手に入れるためにどんな道のりを歩んできたのか、それは決して平坦で清らかな道ではなかったはずだとオスカーは思った。
ことに、彼らの中でも目立って歳若く、突出した能力を持ち、際立って輝く美貌を誇る麗人にとっては。
九人の中で最も末席に控えたヘルメス・フラメールは、目上である八人全員が着席するまで椅子に腰を落とそうとはしなかった。
上座に一列に並ぶ皇帝の重臣達の中にあっても、ヘルメス・フラメールはただそこにいるだけで圧倒的な存在感と風格を漂わせ、人の目を惹きつける。
それは天賦の才としか言いようがない。
自らが生まれ持って与えられた特権を、この男は魔法同様いかようにも利用できるのだ。

ヘルメスが着席すると、全員の席の前に一斉に高価な南方産の果実酒が現れた。
それを合図に、咳払いを伴って、進行役を担っているのであろう副団長のトーラス・ハーンが口を開いた。

「全て揃ったな。それでははじめよう。本日諸君らに召集をかけたのは、緊急に討議し対策を検討すべきと憂慮される事案が明らかとなったためだ」

ハーンはそこで一旦言葉を切り、全魔術騎士団の隊長の顔を確認するかのごとく、ぐるりと会議テーブルを一周見渡した。

「すでに噂を聞き及んでいる者もいるかとは思うが、昨今帝国内外の各地で寺院や教会その他の神聖なる建造物が破壊され、荒らされるという被害が急増している。組織的犯行なのか、個人の蛮行なのかはわからないが、残された形跡からは単なる窃盗や宗教間抗争の嫌がらせなどであるとは考えにくい。報告によれば、被害にあっているのは特定の宗教や民族というわけではなく、ほぼ隣り合う場所に建っている個別の宗教の修道院と祈祷所でも、祈祷所だけが荒らされていたり、時には教会の裏にある霊廟のみが壊されていたりと、襲撃にはまったく規則性が認められない。国外の被害や辺境の未確認の事例も含めると、被害件数はこの一年でかなりの数にのぼるだろう。自治領区域を含めた帝国の領土内だけでも数千件の被害報告が寄せられている。最初に報告を受けたのは東南の国境に近いランス伯爵領内にあるケイナ修道院で、それがおよそ二年ほど前のことだったが、その後報告件数は年々増え、この半年で劇的に増加した」

「被害事由の詳細はどうなんですか?」

手を上げて、第十三部隊の隊長が声を上げた。

「被害の詳細もまた様々だ。裕福な宗教の教会には高価な聖遺物とされるものが納められているところや、宝物を保有しているところもあったが、いわゆる金銭的価値の認められるものを盗もうとしたり施設内に何かを仕掛けようとしたというような形跡はない。ただ、何かを探していたのではないかと思われるフシがあるというのが多数の報告見解の中に共通して見られる」

「何かを探していたというのは、どういうところから・・・?」

また他の隊長から発言があがった。

「どの被害地にもというわけではないが、被害にあった建物のうちの多くに、破壊された箇所から誰も知らなかった隠された空間や設備が発見されたのだ。ほとんどの場合、破壊されるまで建物の管理人や団体責任者はそんな隠し空間があるとは夢にも思っていなかった。中にはそういう秘密が伝承として伝えられていた教会や修道院などもあったが、管理人はあくまでも伝説として伝え聞いているという程度で、その場所を特定できる、もしくは知っていたという者は少ない」

「問題は」その時、騎士団長アルド・リュー・シオンが重々しく口を開いた。

「その被害が段々と帝都に向かって近づいてきているという事なのだ」

全員が、一斉に団長へと視線を向ける。

「これまでの被害報告は帝国の領土内であってもほぼ辺境地域、もしくは帝都から離れた地方都市からあがってきていたが、この半年ほどで徐々にそれが帝都に近い地域からもあがるようになってきた。帝都以外の大都市で被害にあっていないのは、スカラビア公国領バルセナタンか、西の商都、ガリアニタくらいのものだろう。バルセナタンは我々魔術騎士団のお膝元でもあり、そう安易には犯行に及べないだろうし、ガリアニタはもともとあまり宗教色の強い地域ではないからな。被害報告を集積していくと、まるで袋の口が閉まるように帝都に向かってきているように思われるのだ」

「近頃では帝都に教会や聖堂を持ち、各々地方から報告を受けている各宗教・宗派の教主や神父たちからも、被害を心配する声や調査を依頼する声があがりはじめています」

皇帝付専属魔術師の一人、ランドル・フ・ランディが団長の後に続いた。

「帝国内には、帝国国教会を筆頭に、およそ百に近い宗教・宗派が存在します。帝都であるラツィオにはそれぞれの教会や寺院、祈祷所・聖堂・墓地・霊廟など様々な宗教施設や修道院などの修行施設も点在しています。その中にはもちろん、まったく被害を受けていない宗教や宗派というのもあるのですが、地方では何事もなかったからといって、帝都でもそうとは限りません。特に、この件に関しては被害にあう条件というか、犯行の目的がはっきりわからないという不測部分が大きいため、彼らの不安も漠然としてはいるものの大きいようなのです」

「被害にあった教会等の施設には、本当に何も共通するところはないのですか?」

隊長の中から、声があがった。

「今のところ、本格的に調査をしている状況ではないので何とも言えないが、現状ではこれといった共通点はみられないとしか言えん」

ハーンがそれに答えた。

「これまでは我々も被害報告を読むだけで、実際に現場を見た者から話を聞いたわけではなかったからな。その報告書自体、そういった調査を得手とする者が書いたとは限らんし、何とも判断できない。そのために、今日は騎馬隊のオスカー・ウィンに来てもらった。彼には今回の遠征の帰路で最近被害にあったばかりのベローナの大聖堂をはじめ、いくつかの街道沿いにある教会の被害状況を視察してきてもらったのだ。事前に該当する被害報告書を読んでおいてもらったはずだが、何か違いを感じるところはあったかね?オスカー」

ミスチフを除く全員の視線が自分に集まるのを感じつつ、名指しされたオスカーは静かに口を開いた。

「そうですね、違いというか、報告書はそれを作成した者によって情報に差異があるという事は言えるでしょう。専門の知識と眼を持っている調査員が理論的に調べれば、まったく無いように見える共通点も何か見つかる可能性はあるかもしれません。私が帰路の道中で視察してきたのは、ベローナの大聖堂の他に、サナヤのスルダン教とロクタールの国教会聖堂、それからイルミヤの修道院と祈祷所、ナジュールの教会、修道会霊廟などです。ざっと名前を挙げたところで、帝国国教会の教会・聖堂と、二神教のスルダン教、その分派のタンニ派、一神教のモルデ教、多神教のマール教と五つの宗教の施設が被害にあっています。まずベローナですが、ここは帝国南端に近い静かな街で、帝国国教会の信者が多く、大聖堂のほかにもいくつもの教会や集会施設があって、神父がほぼ毎日どこかしらで説法を行っています。大聖堂はご存知の通り街の中央にあり、街はそこを核に円形に広がっていて、大聖堂には日々多くの信者が訪れます。被害にあったのは大聖堂の祭壇裏側に設けられている小部屋で、そこは毎日の祈祷のため神父が必要なものを準備したり、説法のために使う古事写本を抜粋したりする場所なのですが、壁面に作られている小さな祭壇下の聖台が一部破壊されていました。報告書ではその聖台の内部に神父も知らなかった空洞があった事までは記載されていますが、実際には空洞だけではなく、内側の壁面に金文字で書かれた呪文のようなものがありました。私には読める文字ではありませんでしたが、神父に聞いてみたところ、それは国教会の聖本に書かれている古代文字で“水”をあらわす文字だという事で、聖台は毎日祭壇に撒く聖水を準備する場所である事から、その文字が書き記されているのだろうという話でした。次にサナヤの教会ですが、こちらも報告書の中にない事実がありました。サナヤの教会はスルダン教と分派のタンニ派が共同で管理しているという少々変わった教会でして、彼らは正の神と負の神の2神を信奉し、教会の入口と出口がそれぞれ相対する壁面に作られています。信者は必ず入口から入り、出口から出る。その入口から出口までの間には赤い絨毯が敷かれた通路があり、双方の扉口からちょうど真中にあたる場所に円形の祭壇があります。その真上には必ず円い天窓が配され、天井からは胴の長い2匹の蛇が絡み合っている神像が吊り下げられています。被害にあったのは出口の方の扉で、扉上の飾り窓が一部割られていました。被害報告はたんにそれだけで終わっていたのですが、現場に行ってみると、出口扉付近の絨毯が極端に汚れていて、教会の教父にたずねたところ被害にあった当日に、その絨毯の一部がはがれてめくれあがっていたとの事でした。床石が割られていたとか、そういった被害があったわけではなかったので、めくれた絨毯をもとに戻し、特に報告はしなかったとの事です」

「絨毯がめくれていた事と、飾り窓の一部が割られていた事とは何か関わりがあるのかね?」

騎士団の隊長の中から質問の声があがる。

「それはわかりませんね。何のためにその窓を割ったのかも、私にはわかりませんし。ただ、この教会には特にめぼしい金目の物もなく、盗みが目的であったとは考えにくいので、犯行に及んだ者にしかわからない、何かしらの意図があっての事ではあるのでしょうが」

「続けてくれ」

ハーンが促す。

「イルミヤの修道院と祈祷所は、特に報告書にあがっている以外に変わった点は見られませんでした。ここはモルデ教のかなり小規模な祈祷所で、修道院もさほど多人数を収容できるような設備はありません。ただ、非常に歴史が古く、この宗教の始祖の時代に建てられたもののうちの一つであると報告書にはありましたが、その通り大変・・・何といいますか、とにかく古い建物です。あちらこちらに風化して、識別できないような紋様や壁画があったり、庭に石碑があったり・・・。
被害はその庭にある石碑の一部破損と、その側で何かを燃やしたらしく、下草がやや広範囲で焼けたというものです。私にはこの宗教に関して一般的に知られている以上の知識がないのですが、修道院長によれば、その石碑は大変重要な宗教的遺物だそうで、不心得者に対して深い憤りをあらわにされておられましたね。最後にナジュールですが、こちらは思ったよりも被害がひどかったですね。報告書自体がかなり簡易的にまとめられてしまっているようで、これを読む限りではそれほど痛手を受けているようには受け取れないのですが、実際には・・・今回私が視察に行ったうちで一番損害を被っているのはここだと個人的には思います。こちらは教会の方はほぼ無傷で何も破壊されたり盗まれたりといった被害はないのですが、修道会霊廟の方がひどく荒らされていました。この霊廟には歴代何人かの亡くなった神官たちの遺体がおさめられているのですが、半分以上の棺が開けられたり、古いものは部分的に破壊されたりして中を物色されています。ですが、こちらも遺体と共に棺に収められた神具や飾り物などの宝飾品はそのまま残されており、物盗りが目的の行為だとは断定しにくいですね」

「ナジュールの修道会霊廟の出入口は、どちらの方角を向いていますか?」

静かに、よく通る旋律を思わせる声が響いた。
全員が、一瞬はっとしてそちらに眼を向ける。
口元にうっすらと微笑を浮かべたヘルメスが、じっとオスカーの方を見ながらもう一度訊ねた。

「ナジュールの修道会霊廟は、確か教会のすぐ裏手にありましたね?教会は火の神を奉っていたと思いますが?」

オスカーは記憶をたぐるように眉根を寄せ、しばし考え込んだ。
確かに、言われるとおりナジュールの教会は火の神を奉った教会だった。オスカーが案内されて入った扉口は南西を向いていたような気がするが、扉口は他に三箇所あった。

「私が入った入口は、おそらく南西向きだったと思います。訪問したのが午後遅めの時間で、西日が入っていましたから多分・・・。ですが、霊廟への出入口は他に三箇所あったので、どの入口を指してどちらの方角を向いているのかと言われると・・・申し訳ない、はっきりとはわかりかねます」

ヘルメスは穏やかに手を上げてうなずいた。

「結構です。なるほど、入口は計四箇所あるのですね。なかなか珍しい構造です。オスカー殿が案内された入口は、教会を背にして入る形になりますか?それとも教会を左右どちらかに見てですか?」

「・・・・・・確か・・・教会を右手に見て入る形ですね」

「わかりました。ありがとう」

何やら満足げににこりと笑うと、ヘルメスはそれ以上質問を続けなかった。
オスカーはふうっと息を吐き出すと、ハーンの方へ顔を向けた。

「状況報告は以上です」

「うむ、ご苦労だった。他にオスカーに訊ねたい事がある者はあるか?」

ざわざわと騎士たちの間にささやき声が広がり、互いに隣席や近い席に座った者同士が額を寄せ合う。
魔術騎士団の各隊にこれまでどの程度情報が与えられているのかはわからないが、隊によって事前に耳にしている情報に差異があるのは間違いない。
どこの隊はどの情報を知っていて、どこは何を知らなかった、といったような密やかな会話が静かな室内に波紋のように広がる。

「いずれにしても」のんびりとした声がざわめく室内を制した。
百歳を越す最長老の帝国専属魔術師、デズ・デ・ルダール師が眠たげに目をしばたたかせながら、アルド・リュー・シオンへ顔を向けていた。

「これ以上何もせんままこの問題を放置してはおけぬでしょう。報告は今では大方皇帝陛下のお耳にも入っておることじゃし、そろそろ本格的に調査部隊を編成して、誰が何のために教会を荒らしまわっておるのか調べさせた方がよいと思いますがいかがかな?」

騎士団長は溜息と共にしかめっ面で頷いた。

「そうでしょうな。確かに、このまま放置するわけにはいきません。被害が帝都に近づきつつあるとあってはなおさらです。だが、調査部隊をどういう構成で編成するか、それをよくよく考えなければなりませんな。今のオスカーの報告だけでも、犯人が何を意図しているのか常人ではさっぱりわからない。まあ、宗教関係の施設が標的になっているのだから当然だが、その筋の専門家にも調査に助力を頼まなければならないでしょうし、それも一つ二つの宗派の話ではないですからな・・・。」

「まずは広範囲な知識と細かい観察力を備えた人物が必要でしょうね。そして、些細な事でも取りこぼしのないよう細かく秩序だてて記憶する能力に長けている事。断片的な情報を分析する事はそのつど専門家の知識に頼ればいいが、それを再度集積し、関連付けていく事ができる人物が必要です」

ヘルメスが柔らかな口調で意見を述べた。

「最終的には当然バルセナタンの専門家の力が必要になると思いますが、当面は被害にあった全施設を調べ、より多くの情報を得る事です。そこから必要なもの、不要なものを判別していく事で、おのずと道筋も見えてくるでしょう」

「なるほど…フラメール殿のおっしゃる事はもっともですな。さて、それに適した人物となると・・・」

「私に一人、その作業に関して適任者の心当たりがあります」

にこりと微笑んで、ヘルメスはデズ・デ・ルダール師の顔を見た。
ルダール師はちょっと小首を傾げ、片眉を上げてみせたが、好きなようにしなさいとでもいうかのように小さく頷いただけで、黙っていた。

「ほう、適任者に心当たりが・・・それは一体どなたですかな?」

「その前に、団長にお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「この件の調査に関しては、私にも調査隊に加わらせていただきたいのです。もし問題がなければ、できれば私に調査指揮の全権を任せていただけたらと思っています。もちろん、騎士団としての指揮権はいただかずとも結構です。ただ、調査の実務に関してのみ権限をいただければ…」

騎士団員の間に再び波のようにささやき声が広がった。
帝国魔術師自らが指揮をとりたいと申し出るとは、事は思ってもみなかったほど重要な何かを秘めているという事なのだろうか?
報告を終えて、彼らのやり取りを傍観するだけとなっていたオスカー、ミスチフも少なからずこの提案に驚いていた。
本来、帝国専属魔術師は市政や皇帝のために様々な呪術・魔術を行ったり、相談役として助言したりするのが主な役割で、実際に直接の指揮権を軍隊や人民に対して行使する事はない。
強い魔術の能力を持つ者に大きな権限を持たせる事は、危険をも孕むと考えられるからだ。
しかし、それよりもヘルメス・フラメールがこの問題にかなりの関心を寄せているという事実に、皆が強く興味を惹かれたのである。
騎士団長アルド・リュー・シオンは腕組みをしたまま、しばらくの間黙って白いものが混じりはじめた顎鬚をなでていたが、眉根を寄せたまま、唸るように口を開いた。

「わかりました。それも含めて検討する事にしましょう。確かに、フラメール殿に調査に加わっていただければ、非常に有益だろう事は間違いありませんからな。それで、貴殿の言われる適任者とは…?」

ヘルメスは細めた眼と、綻ばせた口元を崩さぬまま、明日の天気を予言するかのごとく淡々とその名を口にした。

「帝国宮廷図書資料館司書長、ジリアン・アナ殿です」

室内の空気が一気に騒々しくなった。
魔術師の口から、噂の渦中にある女性の名がすらりと出てきた事で、その場に居合わせたほとんど全員が驚きと得心の入り混じった声をあげ、目配せしあったり、耳打ちしあったりしている。
オスカーとミスチフも、互いに顔を見合わせ、ぽかんと開いたままの口を閉じる事ができなかった。

「……なんだって??」

「こりゃ、またやっかいな事になりましたね…。セシアスの坊主が大変ですよ、隊長」

「……参ったな……。頭の痛い展開になってきやがった…」

大きな咳払いが響き、室内の空気が一変した。
アルド・リュー・シオンが厳しい表情で一同を見回すと、ささやきあう声はぴたりとやみ、全員が水を打ったように静まり返る。
そこへ、間をおかずにヘルメスが言葉をつないだ。

「皆さん意外な人選と思われるかもしれませんが、彼女は一介の図書館司書でありながら、その実非常に幅広い知識を持っています。現在あの膨大な量の宮廷図書資料館の収蔵物を一覧に頼らず、ある程度把握しているのは彼女だけです。また記憶力もいい。深くはないが広い知識から物事をひもづけて考える事にも優れた能力を持っています。これまで彼女には何度も助力をお願いしていますが、私は全幅の信頼をもって仕事を依頼できる相手だと思っています」

「なるほど、これまでもフラメール殿のジリアン・アナ司書長の評価は非常に高かったと記憶しておりますからな。ではそれも加味した上で、調査部隊の構成は熟慮する事にしましょう。この件についてはまた別途会合を設定する必要がありますな。部隊の人選をどうするかも考えなければなりませんし。他には何か意見のある者は?」

誰もが何かしら思うところありそうな表情を浮かべていたが、沈黙を破ってそれに答える者は一人もなかった。
しばらく待った後、アルド・リュー・シオンはハーンに向かってうなずいて見せた。

「ではこの件はまた後ほど話を詰めることにして、次の議題へ移ろう。こちらは、同じく昨今報告が入り始めた“黒騎士”の件だが・・・・・・」

そこで思い出したように言葉を切ると、副団長はオスカーとミスチフに顔を向けた。

「オスカー、ご苦労だった。次の議題に関しては君達に出席してもらう必要はない。退室してくれるか?」

お役御免とばかりに退室を促され、ミスチフは一瞬むっとした表情を見せかけたが、かろうじてそれを抑えた。
オスカーは横目でそれを見ながら立ち上がり、一同に一礼すると、部下を伴ってテーブルを離れた。

「宴席が三階に設けてあります。うちの者にご案内させますので、どうぞ一足お先に楽しんでいてください」

ヘルメスが扉口に向かうオスカーに声をかける。

「ありがとうございます。皆様おいでになるのをお待ちしておりますよ」

にやりと笑ってオスカーはヘルメスに頭を下げ、ミスチフを従えて開かれた扉の外へ出た。
背後で閉まる扉の向こうから最後に聞こえてきたのは、“黒騎士”の噂に関するトーラス・ハーンの解説だった。

“先ごろミネア山脈を中心に移動生活をおくるファルファ族から夜な夜な現れる黒い騎士について報告があがり・・・・・・”


*** ***


それより少し前。
ほぼすべての来客がおさまるべき部屋へ吸い込まれてゆき、人気のなくなった階段ホールで、セシアスとカイヤは階下を見下ろす壁を背にして佇んでいた。
会合は彼らがホールに見張りに立った後しばらくしてはじまった様子で、時折三階からかすかに耳なじみのない旋律が漏れ聞こえてくる他ホールには何の物音もなく、周囲は静寂に包まれていた。
左右の手摺に分かれて立つ彼らも、静寂の中一言の会話もないないまましばらくの間時を過ごした。
やがて退屈になってきたのか、カイヤは頻繁に伸びをしたり欠伸をかみ殺したりしはじめた。
待つだけの時間は長い。
特に自分の役割にさほど強い使命感を持っているわけではないカイヤにとっては。
セシアスは苦笑いを浮かべて、ホールの吹き抜けの天井にはめ込まれた大きなステンドグラスを見上げた。
陽が落ちたばかりの空はまだ月明かりも朧で、ステンドグラスはただの黒い一枚ガラスのようにしか見えなかった。
光を通さなければ、その美しい絵柄も暗闇に沈んで見えなくなってしまう。
暗く、精彩を欠いた色ガラスを眺めるうちに、セシアスの中で抑えこんでいた思いがゆるゆると頭をもたげはじめた。
一体、自分はここで何をしているのだろう?何のために、あれほど無理を言ってここまでやってきたのか?このままジリアンの到着を待ち、オスカーの出席する会合が終わって、全員が無事に帰路につくまでをその眼で確認すれば気がすむというわけではないはずだ。
自らをつき動かしたあの不思議な衝動は、それだけで説明のつくものではない。
何かが、自分自身の背中を押している事を少年は感じていた。
それまでの人生の大半をそういった理屈では説明できないものに助けられてきた少年にとって、それは彼にしかわからない道しるべだった。
セシアスは意を決した。

ホールの、三階へ続いている階段側に立つカイヤの注意を引かぬよう、ほとんど音をたてることなくセシアスは背にした壁に沿ってそろそろと後ずさり、その場から退いた。
慎重に後方へ運んだ足が柔らかい絨毯を踏むと、もう一度眠気に眼をとろんとさせたカイヤが自分の動きに気づいていないのを確認し、そのまま先程たどった、会合が開かれている部屋へ向かうのとは逆の方向へ伸びた廊下へと足を向ける。
足音をたてぬよう静かに、そして出来る限り素早く、セシアスは緩やかに左へ湾曲した廊下をどんどん奥へと進んで行った。
先程従者控え室までたどった廊下は右手の壁面に規則正しく大きな窓が並び、その向こうの暗がりに揺れるユーツリーの枝葉の影が確認できた。
昼間や外がまだ明るいうちはそこからたっぷりの光が入り、曲線を描く回廊を眩しく照らすのだろう。
一方、今セシアスがたどっている反対側の廊下には窓がなく、進むにつれて天井に揺らめく魔法のロウソクの数が減って、行く手は徐々に薄暗くなっていった。
筒状の構造であるこの屋敷は、廊下もぐるりと円形に繋がっているはずと思われたのだが、進んでも進んでも一向に会議室の方へ近づいている気がしない。
その間壁面には扉ひとつなく、長い廊下は延々と先へ続いている。
セシアスとしてはどこかホール以外の場所に階下か階上へ繋がる階段があるのではないかと期待していたのだが、どこまで行ってもそんな気配はありそうになかった。
それにしても、ずいぶん長い。
セシアスの感覚ではとうの昔に屋敷の外周を一回り廻ったかと思うほど歩いているのに、先にはまだ絨毯の敷き詰められた通路がのびていて、終わりが見えない。
まるで一本道の迷路を歩いているかのようだ。
道すがら、ミスチフが言っていた言葉をセシアスは思い出した。

“フラメール師の屋敷は宮廷内でも豪奢な事で有名だ。なにしろ凝っていて、調度品や装飾、建材もそうだが、建物内のあちこちに仕掛けがあるとも言われてる。フラメール邸の宴席に出席した人間は、必ず何人か迷子になるとかならんとか…。中には本当に行方がわからなくなった者もいるという噂だ……”

なるほど、魔術師は得意の魔術で自らの館にふんだんに仕掛けを施しているのかもしれない。
終点のない回廊を延々と歩き、疲れ果てて座り込む自分の姿を想像して、セシアスは不安にかられた。
もしかしたらこの廊下は本当に終点が無く、どこへもたどり着けない魔法の回廊なのだろうか?
その思いを打ち消すべく、セシアスはいったん歩いて来た往路を引き返してみる事にした。
もと来た方へと反転すると、今度は右に向かって曲線を描く通路をたどる。
だが本来なら戻るにつれて徐々に増えていくべき照明の灯りが少しも数を増さず、いつまでたっても全く同じ景色が続くばかりの廊下の先に、つい先程まで佇んでいた明るい階段ホールが姿を現す事はなかった。
不安は裏付けられた。
迷ったのだ。
いや、迷わされたのだ。
この廊下は案内人なしで進む事を許さない、魔術師の仕掛け回廊だったのだろう。
心臓が鼓動を早めた。
“落ち着け、落ち着いて考えろ”
セシアスは自分自身にそう言い聞かせ、立ち止まって思考を巡らせた。
今はまだ本来進むべき廊下の方向を間違えたため、誤って迷ったという言い訳がたつ状況だ。
自力で抜け出せればいいが、ヘルメス・フラメールの仕掛けた魔術からそうそう簡単に逃れる事ができるとも思えない。
とはいえ、セシアスのように邸内で迷い、あちこちをさまよう羽目になる来客は他にもいるはずで、それを思えばそれほど複雑で完璧な魔術が施されているとも考えにくかった。
どうすればいいのかわからないまま少年はまたくるりと向きを変え、廊下を奥へ向かって進みはじめた。
とりあえず、普通に迷ったようにして歩きつづける他ない。
意図的に何かを探ろうとするのでなければ、迷った人はそうするしかないのだ。

そのまましばらく進んだ頃、セシアスはふと薄暗い廊下の先に青白い影のようなものが揺らめいているのに気づいた。
はっとして、立ちすくんだセシアスの身体が凍りつく。
すると、揺らめく影はすっと暗がりの向こうへ消えていった。
セシアスが息を殺し、そろそろと歩を進めると、影は再び少し先にその姿を現した。
まるで、少年の行く先で彼を待ってでもいるかのように。
体中の血が流れる速度を増し、こめかみのあたりでトクトクと脈打つのが聞こえた。
先刻玄関ホールで一瞬見かけたと思った青白い影、あれは見間違いではなかったのだ。
セシアスは躊躇わず、影の後を追い始めた。
青白く霞んだ影は、消えては現れをくり返し、ほぼ等間隔を保持しながらセシアスを導いていく。
その正体が一体何なのか、はたして後を追って行っていいものかどうかもわからなかったが、とにかくセシアスは時折影が現れる方をめざして進んで行った。
きっと、あの影は彼を呼んでいるのだ。
なぜなのかは説明できないが、セシアスはそう確信していた。
それを裏付けるかのように、たいして追わないうちにぼんやりした青白いそれはセシアスが近づくのを待って、壁の中へ吸い込まれるように姿を消した。
数歩遅れてセシアスは影が姿を消した壁の前で立ち止まり、何度か深呼吸をして呼吸を整えると少し乾いた唇を舐めた。
握りしめた手のひらが、じっとり汗ばんでいる。
湿った手のひらをそっと開き、セシアスは恐る恐る影の消えた壁面に触れてみた。
その途端、強烈な一陣の風がセシアスの顔面に吹き付け、思わずセシアスはぎゅっと両目を閉じた。
一呼吸置いてゆっくりと眼を開けると、そこはもはや迷いの回廊ではなかった。
セシアスの周囲は薄闇に包まれていた。
ひんやりした冷たい風が頬と額を撫でていく。
闇に眼が慣れてくると、そこが狭い階段の踊り場になっていることがわかった。
何の灯りもなく、人一人が通るほどの幅しかないが、足元を見ると左右に階段が伸びているのがぼんやりと見て取れる。
左は上へ向かい、右は下へ向かって続いているようだった。
ここまで少年を導いてきたはずの青白い影は、今はどこにも見当たらない。
どちらの道を選ぶべきなのか迷ったが、セシアスは直感で下へ降りる階段を選んだ。

[2006年 XX月 XX日]

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